世界放浪 ONE WORLD ONE LIFE 女一人旅

世界を廻る1年5ヶ月の旅は完結。日本での日々を綴ってます。

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

サラエヴォ、過去と今

平和を取り戻したサラエヴォの街でも、
歩いているとまだ襲撃の跡が残るビルがあったりする。

街の大通りは昔<スナイパー通り>と呼ばれていて、
この道で動くものは全てセルビア人兵士から襲撃を
受けたとか。

DSCF7865.jpg
今でも残る襲撃の跡

DSCF7867.jpg
<スナイパー通り>にあるHoliday Inn
普通のチェーン展開している中級ホテルだけれど、
この街にあるHoliday Innは特別。
紛争中も営業を続けて、ジャーナリスト達がここに集まり
取材活動を続けたとか。
※当時の写真

DSCF7850.jpg

DSCF7885.jpg
トラムは結構古いものが走っていて、
紛争後に諸外国から寄付された年代物だとか。

DSCF7862.jpg
日本も援助しているらしい。

DSCF7895.jpg
旧市街にある職人街は、観光客で賑わっている。

DSCF7834.jpg
お土産屋で売られていた銃弾のキーホルダー

DSCF7903.jpg
ボスニア風コーヒーでいっぷく。
無茶濃い!

DSCF7886.jpg
みんなコーヒーでいっぷくするのが好きらしい、
でもただ今平日の2時半。仕事は?


DSCF7906.jpg
ボスニア料理Cevapciciを食す。3.5KM(約200円)
ミンチ肉をピタパンのようなもので挟んだもの。
あんまりお腹が空いてないけど、無理に食べたので、
味はまあまあ。

暗い過去を持つボスニアだけれど、
トラムのチケットや、切手は可愛いい。

DSCF7844.jpg
トラムの1回券、、にしてはもったいない。

DSCF7843.jpg
切手 なぜ野菜がモチーフ?


| ボスニア・ヘルツェゴビナ | 04:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

観光が楽しい街サラエヴォ

ボスニア・ヘルセゴヴィナの首都<サラエヴォ>意外にお気に入りの
街になった。

まず、宿がよかったのが大きいかも。
今回泊まったのは最近出来たTravlers Home Hostelで、
ホステルとは思えないぐらい綺麗でまるでお金持ちのアパートメントに
泊まりにきている感じ。
オーナーは弁護士で、奥さんはオランダで外交官の仕事をしている
ときいて納得。
オーナーのおじさんはとても親切。
「キッチンにあるものは全て、食べていいよ。」と言ってくれる。
そしてそのキッチンにあるものというと、ポップコーン、インスタントスープ、
コーヒー、ハーブティー、コカコーラ、ビール(これは例外か?)など。
13ユーロ(約1,500円)の宿泊代しか払っていないのに、、、。
(このブログを更新している時も、ポップコーンいる?と聞いてきた。
お腹がいっぱいだったけれど、断ると悪いと思ってYESと言ってしまい、
私の目の前に大盛りのポップコーン。)

立地も抜群。観光名所が集まる場所まで歩いて5分ほど、歩くのに疲れたら、
宿に戻り休憩して再び出かけるということが出来るのは本当に楽。
もっと滞在したかったけれど、サラエヴォで見るものはみたのでそうもいかず。
居心地の良い宿はやっぱり重要。

サラエヴォの宿
Travelers Home Hostel
 ★★★★★ 超おすすめ
・8人ドミトリー 13ユーロ(約1,400円)
・最近出来たホステルで無茶苦茶綺麗、ベッドの寝心地も良し
・朝食付き、ポップコーン、スープ、コカコーラーなど飲み放題
travel.png

サラエヴォの人達は親切で穏やかな気がする。
紛争を経験したから、人に優しくできるのか?それなら他の中欧の国も
同じようにな経験をしてきたけど、そうでもないし。
不思議です。

教会、旧市街に飽きていた私には、それ以外に見所がある
サラエヴォの街は観光するのも楽しかった。

今日はまず、トンネル博物館へ。
1993年、サラエヴォがユーゴスラビア連合軍に包囲されて孤立していた時、
外から物資の輸送を行うために作られたトンネル。
場所は住宅地にあって、ここにトンネルがあるとはわからないような場所。
期待して行ったけれど、公開されているのは25mだけであっさり見終わってしまった。

DSCF7859.jpg
普通の家の中にトンネルがある。

DSCF7849.jpg
見れるのは800mあるうちの25mだけなので30秒で歩き終わる。
高さは1.6mぐらい、長身の男性が荷物を運ぶには低すぎたに違いない。

DSCF7854.jpg

DSCF7858.jpg
赤い線の内がサラエヴォで、4年間も連合軍に包囲されていた。
その間は移動することが出来ず、ひたすら銃撃戦から身を守るしか
なかったらしい。

このトンネル博物館、自力で行くには不便なとこにあって、
ツアーリストオフィスのお兄さんには、ツアー(12ユーロ)を薦められたけれど、
自力で行く事も可能で、そんなに難しくない。
※地球の歩き方に書いてある方法では途中までしか行けません。!



トンネル博物館の行き方
街中を走っているトラム3番(鉄道方面行き)に乗って終点まで行く(約30分)。
終点のすぐ横がバスターミナルになっていて、そこから32番のバスで
また終点まで(約10分)。そこから歩いて10分ほど。
トラム&バス 各料金1.6KM(約100円)

バス停の左側に小さい橋があるのでそれを渡り、
すぐ左に曲がる。
住宅街をまっすぐ歩いていくと(約600m)、
Tunelというサインがある。

DSCF7863.jpg
バスターミナル ここから32番のバスに乗る。

DSCF7860.jpg
この道をまっすぐ。

DSCF7846.jpg
サインがあるので見逃すことはないはず。


次は、サラエヴォ冬季五輪施設と墓地へ。
サラエヴォの人達はオリンピックが開かれたことを誇りに思っているようで、
宿のおじさん、ツアーガイドのお兄さんも口をそろえて
「It was the best organized olympic.」と言っていた。

オリンピック会場に興味はないけれど、その周辺にある墓地を見ておき
たかった。この墓地は紛争中、犠牲者を墓地まで運ぶことが出来ず、
埋葬するところもなかったので、補助グラウンドを使用して作られた。
オリンピックの聖火台が見えてきて会場に向かって歩いていくと、
たくさんの白い物が建てられている風景が目に入ってきた。

その白い物が墓碑でかなり奥まで続いている。
モスタルで見た墓地と同じで、石碑に刻まれている年号は新しく
1993年、1994年。
なんともいえない気持ちになった。

DSCF7874.jpg
1984年に開かれたサラエヴォオリンピック、その7年後に紛争が始まる。

DSCF7879.jpg
紛争で犠牲になって人達の墓地

DSCF7882.jpg
オリンピック博物館
無料なので行ってみたけど、、、記念品を並べているだけという感じ?

DSCF7881.jpg
今はなき国、ユーゴスラビアのプレート。

DSCF7883.jpg
競技場の壁に落書き?いやペインティンする若者。
グラフィティーのアーティストか?手際がよかった。

墓地を後にして、オリンピック博物館をさらっと見て、
旧市街へ戻り、次ぎは第一次世界大戦のきっかけとなった
オーストリア=ハンガリー皇太子が暗殺された事件が
おきた場所ラテン橋へ。

DSCF7888.jpg
第一次世界大戦のきっかけとなった場所、ラテン橋

DSCF7893.jpg
本当は直線に進むはずだった車が、右歩行(橋を渡る)に曲がったため
射撃されることになったとか。

で、第一次世界大戦ってどんな戦い?
勉強しなくてわ。

後は、街をぶらぶら。
なんか充実した一日でした。

| ボスニア・ヘルツェゴビナ | 03:11 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

裏道を歩くことの大切さ

ボスニア・ヘルツェゴビナの<モスタル>にやってきた。
クロアチアきっての観光地ドブロヴニクから3時間と近いことから、
日帰りの観光客で町の中心は大賑わい。特に、ツアーのグループで
行動している人が目立つ。

DSCF7798.jpg
後ろに見えるのがスターリ・モスト
この橋周辺はお土産屋とレストランが軒をつらねる。

DSCF7803.jpg
綺麗な景色

私はツアーに参加することを否定しない、、、、けれど、
今日ふらりふらりと歩いていて、「裏道を歩くことの大切さ。」
あらためて感じた。

観光客で賑わっている場所は、スターリ・モストというオスマン朝支配下の
時代に建てられた橋の周辺だけ。
でも、その通りを1ブロック逸れただけで、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時に
攻撃されて朽ち果てた建物、銃弾の跡が残る壁、紛争の犠牲者の墓地があったりする。

もしかしたら、ツアーでもこのような負の遺産を見ることが
含まれているかもしれないけど、なんとなく旧市街のオリエンタルな雰囲気を
楽しむだけで終わっているような気がする。

DSCF7814.jpg
紛争時のときそのままの建物が結構残っている。

DSCF7818.jpg
銃撃を受けた痕

DSCF7816.jpg
こういうの初めてみたかも

DSCF7824.jpg
木は新しく生えてきたけれど、建物は朽ち果てたまま。

DSCF7792.jpg
バスターミナルから伸びるメイン通りにあった墓地
どれも新しくて刻まれている年はどれも1993年


ひとりで観光していると、おもわぬ光景を見ることも多々ある。
今日もそんな日だった。

人のいない方へぶらぶら歩いていくとモスクがあって、
女性3人が入っていくとこだった。すぐに男性2人も入っていった。
観光客は入れなさそう雰囲気だったけれど、ちょっと見学してみようと
中に入ると、さっきの女性3人と男の子1人と男性3人が何をすることもなく
座っていて、じゃあ大丈夫かと私も同じように座りぼーと
していたら、12時になりお祈りの時間がになったらしく、
6人がイスラム教式のお祈りを始めた。

特に私を追い出すわけでもなく、もくもくとお祈りをする。
お祈りをしている時はどの宗教であっても、そこには静寂だけがあって、
争いの種になるようまものなんてどこにもない。

それなのに、宗教が元で戦争や紛争が起こってしまう。
事はシンプルにはいかないものだな~とか
考えているうちに礼拝は終了。
こんな風景も、ツアーだったらきっと見れないはあず。

DSCF7808.jpg
コスキ・メフメット・パシナ・ジャミーヤというモスク
多分入場料をとられるけど、何も言われなかった。

DSCF7805.jpg
お祈りが始まった。
帽子を脱いでいたら、かぶるように言われた。

DSCF7807.jpg
3世代が同じ祈りをする。
女性は加わることが出来ず、後ろのほうで祈る。

名所周辺を見ただけと、それに加えて戦争の惨劇の跡が残る場所も見ることには
大きな違いがあると思う。そして、今日みたイスラムの祈りのように
地元人の生活の一部を見る事もすごく貴重なこと。
私は、やはりその国の良い面だけでなく、不の部分をも見ること、
また道路に座っているおじさんを見るように、その土地に住む人を
観察することで、その国を知ることが出来ると思うので、
やっぱり脇道に逸れて思わぬものを発見していきたいと、ふと思ったのでした。

DSCF7813.jpg
町にはジプシーらしき女性達がちらほら。
知り合い?の女性からもらったスカートをあわせてみていた。
どのジプシーも赤ちゃんを抱えて、観光化に物乞いをしているのだけど、
どうやって生活しているのだろう。

今日のご飯
朝食
DSCF7786.jpg
ほうれん草とチーズのパイ
チーズがすっぱくて苦手な味
2KM(約100円)

昼食
DSCF7812.jpg
ルーマニア、ブルガリアでもあったロールキャベツ
日本のものと比べるとすっぱくて私はあんまり好きじゃない。
4ユーロ(約430円9

モスタルの宿
Hostel Magdalena Lena
 ★★★★☆
・4人部屋ドミトリー 11ユーロ(約1,200円)
・バスターミナルから徒歩1分の場所にあるので、夜遅く着いたときは便利
 旧市街へも歩いて10分ほど
・家族が住んでいる家の一部をホステルにしている感じ
・オーナーの女性は英語が話せて親切

hostel mostar


| ボスニア・ヘルツェゴビナ | 01:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |